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<<   作成日時 : 2011/09/05 15:22   >>

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Bフィリピン歴史紀行の旅(つづき)
「コレヒドール島」
スペイン統治時代には、ここに税関が置かれ、通行する船舶を取り締まる。米西戦争の結果、アメリカに支配が移り、アメリカ軍はここに要塞を築いた。太平洋戦争が始まり、最初はマッカーサーが指揮。大統領の命令でオーストラリアに脱出。「I shall return」は有名な台詞。日本軍は1942年に島を占拠。1945年に米軍が奪回。日本軍は当初6000人いたが、米軍上陸時には半数近くに減り、残っていた3500人はほとんど玉砕し、生存者わずか20名。
米軍兵舎跡・砲兵陣地跡・高射砲陣跡・娯楽施設跡など見学
廃墟となった兵舎等が密林の中に多く点在していた。また、当時は病院、映画館、ボーリング場、ゴルフ場などもあったらしい。
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太平洋記念館・平和公園
記念館には、当時の写真、武器、遺留品などが展示
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日本平和庭園
戦後に作られた慰霊碑、6000人の墓石などの施設がある。
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マリンタ・トンネル
全長254.5mのトンネルで、戦時中は倉庫などに使われ、日本兵が最後に立てこもったトンネル。光と音のショーで太平洋戦争を再現し、臨場感にあふれ、見応えがあった。
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ディナ−ショウ「民族舞踊
先住民の踊り、スペイン植民地時代の踊り、バンブーダンスなど民族の多様性を表す音楽と衣装がおもしろい。
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「タガイタイ」
標高700mの高地にあり、夏の避暑地として人気が高く、ゴルフや乗馬の施設も整っており、フルーツの産地としても有名。
タール火山とタール湖
カルデラ式の巨大な湖に火山島が浮かび、その火口にもう一つの小さな湖がある。「湖の中の湖」「火山の中の火山」として有名。世界最小の火山。
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パイナップル畑
タガイタイはフルーツの産地で、道路沿いには、バナナ、パイナップル、マンゴーなどの季節の果物を売るフルーツスタンドが並ぶ。小さなパイナップルをまるかじり、みずみずしくってうまかった。(1個20円?)
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モンテンルパ元戦犯収容所
刑務所のそばにあり、ちょうど日本からの墓参団と合流。
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「メトロ・マニラ」
フィリピンの首都で、政治、経済、文化の中心地。スペインの文化とローカルの慣習、英語とタガログ語、富裕層と貧困層・・・・・。さまざまな要素が入り混じっている都市。世界で3番目に大きいショッピングセンターがあると聞いてびっくり。
サンチャゴ要塞
スペイン統治時代に150年かけて造られた石造りの要塞。その後、アメリカの軍司令部として使用され、戦争中は日本の憲兵隊の本部となる。フィリピンの国民的英雄ホセ・リサールが処刑されるまでの2ヶ月ここに幽閉。大戦中、。数百人のフィリピン人、アメリカ人が日本軍によって地下牢に投獄され、命を落とした。
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リサール公園とリサール記念像
フィリピン独立の英雄ホセ・リサールが銃殺された場所。記念像は、1912年建てられた。像は、マニラ湾を見つめている。
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マニラ大聖堂
1581年に創建。その後、台風、地震、戦争で破壊され、1958年6代目の再建。ステンドグラスが美しく、フィリピン最大のパイプオルガンがある。
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サン・アグスチン教会
1587年着工、1606年完成。古い修道院の建物は博物館となっている。ちょうど、結婚式が行われていた。
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セント・トーマス大学見学
医学部、工学部が有名。千葉県出身のハーフの学生と出会った。彼は、文系。
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高山右近像見学
家康のキリシタン禁止令で、1614年、63歳の時、海を渡り、3000人の日本人に歓待されたが、滞在40日でこの世を去った。
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GK.Smokey Mountain
貧富の差が著しいマニラ。もっとも貧困な者は、自分で造った一畳ぐらいの小屋に5〜10人の家族が住んでいる。村には、村長がいて統制がとれており、村民は明るく笑顔がすてきだった。
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近くのスーパーで子供たちのおやつを買って、訪問。マイケルジャクソンと呼ばれている男の子が歌を披露してくれた。子供たちの笑顔もすてきだった。おやつは、親や兄弟に取られてしまう子供もいると聞く。
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米軍記念墓地
1960年に整備。アメリカ人1万7206人の十字架がある。1942年から1945年の日本軍と米軍・フィリピン軍との戦争の様子を地図で説明したパネルが年代ごとにあり、よく理解できた。横には、行方不明となった3万6279人の名前を刻んだ壁がある。
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日本料理店「有楽園」で、最後の夕食
日本料理というより、洋食風だったが、久しぶりでおいしかった。着物がよく似合うフィリピンの女性たちだった。
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今回の旅は、フィリピンの歴史をはじめ、太平洋戦争のすざましさなど、いままで知らなかった事実を知ることができた。しかし、フィリピン人の対日感情は、好意的で何よりでした。もう二度と戦争はしてはならないと改めて強く感じた旅となった。みなさんありがとう

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